2歳から肥満、最高体重83Kg、アラフォーの現在は52Kg、そんな私の軌跡です。
ダイエット開始から摂食障害気味になるまで

中学生の頃から始まった私のダイエット。83kg→48Kgまでの軌跡です。
正しい知識が乏しいまま試行錯誤を繰り返し、若いうちに大きく体重を落とすことに成功しました。でもその過程で苦しい思いをしたりやってはいけない危険な行為もしてきました。
ここでは当時の生活習慣と心の変化を振り返り、同じような悩みを抱える方へ、こうなってほしくない・正しいダイエットで体も心も健康でいてほしいという思いで注意喚起と気づきを残します。
ダイエットの始まり:何から始めればよいかわからなかった

■70kg
ダイエットを初めて意識したのは中学生でした。太っていることは自覚していましたが、やせ方が分からなかったのと、何となく未来のことを考えるのを避けていました。私はごく一般的な10代で、栄養に関する知識は授業で習った家庭科程度。その頃はネット環境も乏しい時代でした。
実は実家は野菜料理が出ない家庭でした。ダイエットといっても何から始めればいいのかわかりません。雑誌の裏表紙に掲載されていた「願いが叶うネックレス」を、お年玉の12000円で買い、スカートに忍ばせて登校していました。
願うのは「痩せますように、目立たないくらいの体型になれますように」
そう毎日願っていました。
■83kg
ただなんとなく痩せたいと思いつつ高校生になりました。このころ体重は80Kgを超えています。中学時代に買ったお守り代わりのネックレスは、いつの間にかどこかでなくしてしまっていました。
ついに体重計が83Kgを示した高校2年生の春、おそらく人生で最初の「正しいダイエット(と当時思っていた)」の始まりです。
「60キロ位になれば市販のサイズの服ぐらいは入るんじゃないか? せめて健康体重になろう」
そう思って始めました。
当時の服のサイズはXLやそれよりも大きいサイズで、女子高校生が着るような可愛い服は一切入りませんでした。足や腕も出すのが恥ずかしくて、夏場でもズボンに長めの袖のシャツで過ごしていました。友達がノースリーブを着ているのが、羨ましいを通り越して別世界だと感じていました。
まず最初にやったダイエットは、まず食べる量を減らすこと。食事を抜くこと。
朝食は食べず、お昼は友達とお弁当を食べる。夜は食べないという一日1食生活です。
そうすると、1日で親が気付いて心配するため、ダイエットは中断されます。これは当然ですね。
次に、私は夕ご飯を半分だけ食べることにしました。残りをラップして冷蔵庫に入れ、次の日の朝食べました。最初の1週間は空腹で仕方がなかったのですが、翌朝の食事が楽しみになりました。
朝から母が用意してくれる朝食も平らげるので、結構な量です。このころ、お腹が空いて授業中にお腹が鳴り、近くのクラスメイトに聞かれることを何よりも恐れていました。男子たちが、私のお腹の音を聞いてクスクス笑っているような気がしたからです。
こうして朝からたくさん食べれば昼までもつため、お腹もグーグー鳴らず、私の悩み解消にもぴったりでした。
そうするとじわじわ体重が減り始めます。最初は1日トータルの食事量はダイエット前と同じでしたが、少しずつ量を減らしていきました。夜ご飯は半分から3分の1に。揚げ物の時は1つしか食べない、ご飯も茶碗3分の1、汁物はしっかり食べる。ただしじゃがいもや人参などは少しだけ。

やっと携帯が普及し始めた時代でしたので、本当に情報に飢えていました。今思えば、学校の保健の先生に相談すればよかったと思います。痩せていく私を気にしてくれていたことを随分後になって知りました。
ダイエットの仕方が分からないため、雑誌頼み。「炭水化物は太る」というのを当時のファッション雑誌で読んで、正しい知識だと思い込み実践していました。
ただお寿司だけは大好きだったので、お寿司は夜でも食べるようにしていました(ナマモノだから翌日の朝は食べれず、自分が食べなければ弟のお腹に入ってしまうので笑)。
この食生活を実践していると、体重は面白いように落ちていきました。学校が遠く歩く距離もそこそこあり、学生ということで運動も必然的にしていました。
若いぶん代謝が良いこともあり、体重がどんどん落ちる…。今まですごく太っていたので、痩せていく自分を鏡で見るたびにわくわくして、少しずつ自信が湧いてきました。
意地悪な女の子たちが私を見て嫌みを言うのですら快感でした。また、私と同じような体型の女の子がもう1人いたのですが、その子が私のことを「痩せてむかつく」と言っていたのも、傷つくどころか快感に。それだけ人の目から見て変わったということが分かったからです。
とは言え、今は「太っていること=悪」ではないという事は理解しています。また、何か陰口を言われてしまうのも、もしかして私に何か良くない点があったのかも…とも感じています。
加速する極端なダイエット

■65kg
痩せてくるとダイエットは楽しくなります。元が83Kgもあったため、15キロ程度はするする落ちます。この頃にいちど制服を補正してもらいました。お金がかかるにもかかわらず、母が喜んでいたのをよく覚えています。私は制服を作るときも既成サイズでは到底無理だったため、入学前からこのお店の方にお世話になっていました。
友達関係もダイエットも順調で、毎日楽しかったです。友達から「痩せたね」と言われるのも嬉しかったし、モチベーションになりました。この子たちと同じような普通体型になって、一緒に服を選びたいと思っていました。
高校3年生の夏、高校主催の勉強合宿がありました。1週間自然豊かな旅館に泊まり込み、みんなで毎日一日中勉強するのです。今はもうあまりないのかな?級友たちと一緒に大浴場にも行かなければならないので、ダイエット熱も過熱します。(※ちなみに高2の修学旅行は部屋風呂でした)
高校生に合わせたホテルの食事はものすごいボリューム!もうダイエットにはまりきっていたので、なるべく体重を増やさないようにしたかったのですが、クラスメイトも友達もたくさん食べるので、私だけ食べないのも…となり、出される量を食べて過ごしました。
すると、合宿前は60キロだった体重が63キロになって家に帰ってきました。大ショックです。
ただ、これもすぐに落とせるだけのモチベーションがありました。
そして高校を卒業する頃には50キロ程度になっていました。
高校卒業の少し前に、母がもう一度制服補正のためにお店に連れて行ってくれました。お店の女性が、痩せたことをすごく褒めてくれ、母も嬉しそうにしていたのが印象に残っています。

■50kg
いよいよ大学進学です。ここから少し書くのが辛くなってしまうのですが…。
平均体重になったため、今までのようにスルスル体重は落ちません。この頃の体重は50Kg前後で目標は45Kg、あわよくば42Kgを目指していました。
健康体重になるという当初の目標から、美容体重を目指すフェーズに入っていきました。
普通食にする程度では、美容体重にはなりません。
大学生になりアルバイトを始めました。ホテルで配膳をしたり、結婚式の準備や後片付けをしたりするバイトです。1日中体動かすため、ダイエットに燃えていた私にはぴったりでした。
まかないが出るのですが、ホテルの食事なのでとてもおいしいのです。カレーやパエリア、揚げ物、ケーキなどさまざまなメニューが出てきます。盛り付けも上品ですばらしいのですが、この頃私はもう油物は絶対NG、炭水化物も肉もほとんど食べないという生活になっていました。
そのため、まかないが出ても少し口をつけて止めるの繰り返し。申し訳なくなったので、まかない自体を断るようになりました。
家に帰る頃には夜11時を過ぎているので、それから家で食事をする気にもなりません。太ってしまうことを何よりも恐れていました。
このころの食事は、朝ご飯はチーズと黒パンを1枚(60g程度)、昼食は母作の弁当を。
炭水化物は極端に少なく、揚げ物はおろか肉や魚などの焼き物も入っておらず、野菜がほとんどを占めるようなお弁当でした。すべて私が母に言ってそうしてもらっていました。
母には「学食で他にも食べるから」と言っていましたが、本当は何も食べていませんでした。
平日はバイトで遅くなるため夜ご飯を食べず、そのまま就寝します。1日の摂取カロリーは500~700kcal程度だったと思います。
注意: 本文はデリケートな内容を含みます。つらさを感じる方は一人で抱え込まず、医療機関や相談窓口にご相談ください。
参考:厚生労働省 こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)・日本摂食障害協会
大学生時代、間違ったダイエットに夢中だった私

1番ダイエットに熱が入っていた(といっても間違ったダイエットです)時代大学生の頃の食事の一例を記します。
大学二年生で実家を離れ一人暮らしを始めました。
この頃は熱心にアコーディングダイエットをしていて、食べたもの飲んだもの全てを記録していました。
それとは別に日記もつけていました。記録魔だったんですね。
食事の記録(一例)
- 朝:無糖ヨーグルト、雑穀パン30g、ブラックコーヒー
- 昼:ダイエットプロテイン、野菜サラダ(低カロリードレッシング)
- 夜:なし
- 朝:なし
- 昼:実習で作った食事(普通食。ご飯は半分)
- 夜:乾燥黒大豆50g
こんな食事で大学が終わったら、バイト。
バイトがない日は街をぶらぶらして本屋に行くなどしていました。
本屋ではダイエット本や雑誌を読み漁っていました。
どんどん減る体重と、母の言葉

体重はみるみる落ちていきました。45kgくらいだったでしょうか。
適正体重は50から52キロの間です。ものすごく痩せてると言うわけではありませんが、母からは駅から出てきたら1番小さい・1番細いと言われていました。(田舎の駅です)
これまで誰が見ても1番大きく太っていた娘が、改札から出てくる人の中で1番スリムになったのです。母も嬉しかったのだろうと思います。
そういうことにも私は応えたかったんだろうなと今ではわかります。でも、本来は自分の身体について誰の期待にも応える必要はありません。
過食嘔吐への布石|バイト先で出会ったスイーツをくれる女の子

カフェでのアルバイトは楽しかったものの、常にケーキの誘惑と隣り合わせでした。ショーケースに並ぶスイーツに加え、パティシエの試作ケーキを分けてもらうこともあり、その甘い環境が私の過食嘔吐を加速させていったのです。
甘いケーキへの執着
カフェのアルバイトをしていた頃、私はいつも甘い香りに囲まれていました。ショーケースには新作ケーキが並び、さらに一緒に働いていたパティシエから試作ケーキを「味見して」とほんの一口を分けてもらうこともしばしばでした。
最初はうれしくて楽しんでいたのですが、やがて「もっと食べたい」という気持ちが抑えられなくなりました。ひと口食べるたびに幸福感に包まれる一方で、「太るかもしれない」「顔がむくむ」という恐怖も頭をよぎります。
それでも目の前にあるケーキを拒むことはできず、食べることと後悔が表裏一体になっていきました。
止められない衝動と後悔
「今日は控えよう」と心に決めても、バイト帰りにケーキを手にしてしまう。いただいた試作ケーキも、3分の1だけと決めて食べ、あとは捨てていました。(本当にもったいないのですが一人暮らしで分ける人もいませんでした)
カロリーを摂ったら歩きまくることで帳消しにしようとする——そんな行動が習慣化していきました。食べている間は確かに幸せなのに、直後には深い後悔と自己嫌悪に沈む。その繰り返しに苦しみながらも、私は衝動を止めることができませんでした。
あの日のホールケーキ

カフェでのバイトも順調にこなしていたころ、同じバイト仲間の女の子と仲良くなりました。その子はパティシエを目指していて、毎日のようにたくさんのスイーツを試作していました。
家に持ち帰っても食べきれないからと、シュークリームやマカロン、時には自宅で試作したホールケーキまでバイト先に持ってきてくれていたのです。私がケーキ好きだったこともあり、にこにこしながらプレゼントしてくれるのです。それがそのまま夜ご飯になることも多かったと記憶しています。
ケーキに支配されていく毎日
ケーキを口にした後、すぐに罪悪感が押し寄せて捨ててしまうこともありました。それでも一口食べたときの甘さや幸福感は忘れられず、罪悪感とおいしさが同居するように心をかき乱していきます。
ダイエットは順調に進んでいるはずなのに、気持ちは満たされず、体重が減るほどに焦りとイライラが募りました。「もっと痩せたい」「でも食べたい」と矛盾した思いに支配され、甘いもののことを考える生活から抜け出せない毎日が続いていきました。
深夜、ケーキを拾い、泣きながら吐いた夜

あの日、パティシエの子からオペラケーキを丸ごといただきました。とはいえ私は一人暮らしで、ホールケーキ丸ごとを食べることはできません。他の人からもらった手作りの食べものを友達に渡すのも違うと思いました。
「捨ててもいいから!」彼女はそう言いましたが、いただいたオペラケーキにも申し訳ない気持ちで、ほんの少しだけ口をつけてゴミ箱へ捨ててしまいました。
その夜、どうにも辛いことがあって真夜中に目が覚めると、私はゴミ箱に捨てたホールケーキを取り出していました。フォークも使わず、手づかみで黙々とホールケーキを口に運び、気づけば全部食べ尽くしていました。
食べ終えた瞬間、はっとしてトイレに駆け込み、手を口に突っ込み吐きました。ぼろぼろと泣きながらのことでした。
翌朝、鏡を見ると顔がパンパンに腫れていました。
自分でもその姿にショックを受け、もうこんなに苦しむならいっそ…と頭をよぎります。育ててくれた両親のことや祖父母のことを思い、何とか立て直し学校へ向かいました。あの夜のことは今も忘れられません。
これは危険な状態です。できればこのようになる前に、医療機関などに相談することはとても大切です。信頼できる支援先もあり、助けを求めることは決して弱さではありません。厚生労働省 こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)
過食嘔吐が顔に現れ自暴自棄に
過食嘔吐は心だけでなく、顔にもはっきりと影響を及ぼしました。朝起きて鏡を見るとむくみや赤み、かさつきが増しているのに気づき、「あの夜」の記憶とともに自己嫌悪がよみがえります。見た目の変化は内面の苦しさを目に見える形にしてしまいました。
むくみと顔の違和感

吐いた翌朝、まず感じたのは重たいむくみでした。頬がふくらみ、目の下が腫れぼったく見える。口元や肌のツヤが失われ、どこか血色が悪く感じられることもありました。鏡を直視するたびに「顔が変わってしまった」という違和感が胸に刺さります。
誰にも言えない苦しみ
過食嘔吐のことは人に言えませんでした。表面上は普通に見えていても、心の中では罪悪感と後悔がぐるぐると回り、鏡の前で自分を責める日が続きました。外見に現れるむくみや肌荒れを隠すために笑ってごまかす自分と、本当は助けがほしい自分の間で引き裂かれるような孤独感は、言葉にすると軽くなるものではありませんでした。
後悔と自己嫌悪の連鎖

食べてしまった瞬間の満足は短く、すぐに深い後悔と自己嫌悪が襲いました。『もう二度と』と強く思っても、衝動に負けるたびに自分を責め、顔に出るむくみや人の目を思えば余計に自己嫌悪が増幅します。その繰り返しが、気づけば日常をじわじわと蝕んでいきました。
食べる → 吐く → なぜか増える体重
吐いてチャラにしているはずなのに体重がじわじわ増えだします。45Kg程度だったのが、48Kg、49Kgと増えてくると恐怖以外の何ものでもありません。嘔吐しても少し残ってしまいそれが吸収されて太っているんだ…と、今度は食べること自体をやめてしまいます。
とはいえ、学校の実習では必ず試食をしなければいけません。栄養士の実習なので決して身体に悪影響のあるものや太りそうなものではなく、むしろバランスの良いメニューばかりでした。頭では理解できているものの、カロリーや糖質の数値がどうしても気になり、実習が終わると帰宅までにめちゃくちゃに歩き回ったりジョギングをしていました。
必死でカロリーを消そうとする一方で、翌朝にはむくみや肌荒れが出て、顔の違和感だけは隠せませんでした。このころ、栄養バランスは最悪に近いものだったからです。
45Kgから60Kgまでリバウンド
食べては後悔し、また同じことを繰り返す自分を日々責め続けました。『意志が弱い』『自分はだめだ』という否定の言葉が心の中で大きくなります。
一人暮らしの寂しさも、状況を悪化させました。家に帰って誰とも話さない夜は、孤独が食欲や不安を増幅させ、つい「食べる→吐く」の衝動に流されやすくなりました。さらに就職活動のプレッシャーが重なり、「やせていなければ価値がない」という内なる声がいつも背後にありました。他人の視線や評価が気になり、自分の価値を体重や見た目で測ってしまう感覚に縛られていったのです。
気づけば体重は増え続け、45kgの頃に抱いていた「コントロールできる自分」という幻想は崩れ去りました。就職活動のプレッシャー、そして「やせていなければ価値がない」という心の呪いが、すべてをがんじがらめにしていました。周囲の目や評価が気になり、心が休まることがほとんどなかったことを今でも鮮明に覚えています。
リバウンドによる体重変化は、単に数字が増えたというだけでなく、自尊心の揺らぎや日常生活の質も落ちていきます。そしてその悪循環を断ち切るには、食事や運動だけでなく、心のケアや周囲のサポートが不可欠であることを痛感することになります。
